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キュヒョンせんせいは、皆の人気者だった。


数学の新任で、格好良くて、授業が上手くて、少しだけ意地悪な性格が、
また惹かれてしまうところだった。



皆の人気者の、キュヒョンせんせい。



そんなキュヒョンせんせいと体を重ねているということは、
絶対に秘密だ。


俺から頼み込んだ。キュヒョンせんせいは困った顔をしていたけれど、
それでもいいと。一緒にいられるのなら、なんだっていいと。


だから、俺とせんせいの関係は、『セフレ』ともいえないほど酷いものだった。



酷く痛くて、乱暴で。
俺はただ、せんせいの性欲処理のための道具だった。




それでも、いい。


せんせいは決まって、優しく笑ってくれたから。




空が綺麗すぎると。時々、ヒョクチェが綺麗すぎると。




―せんせい。




俺だって、怖かった。せんせいが綺麗すぎるから。消えてなくなってしまうんじゃないかと。





だから、せんせいは…








「ヒョクチェ、」




不意に名前を呼ばれて、思わず過剰な反応をしてしまう。
そんな俺を見て、ドンへは可笑しそうに笑った。


ドンへって、こんなふうに笑うんだ。
なんてことをぼんやりと考えていると、もう一度「ヒョクチェ」と名前を呼ばれる。



「…何?」

「どこに行きたいの?」

「……どこでも、いいよ」

「それ、一番困るんだけど。」

「じゃあ、ドンへの行きたいところ」




ドンへは優しく微笑んで、俺の手を握った。

俺はドンへのすぐ後ろをとぼとぼとついて歩きながら、ただドンへの背中を見つめる。
店を出てから、ドンへはずっと俺に寄り添っている。



見つかったら、どうなるんだろうか。

ドンへは、どこに行くんだろうか。

俺は、ついてきて良かったんだろうか。

もしまた、あんなことになったら…




そう思うと背筋がぞっとして、温かみをもっていたドンへの背中が、
急に凍りついたように冷たくなる。

俺は反射的に立ち止まってしまって、どうしようもなく、ドンへの手を強く握った。




「大丈夫だよ、ヒョクチェ」



ドンへはそっと俺の手を握り返す。
その手があまりにも優しいから、俺はドンへを見つめる。

恥ずかしそうに首を傾げたドンへは、手をクッと小さく引く。
さっきより少しだけ近くなった距離に、どうしてだか、安心してしまう。


ドンへは少しだけ腰を屈めて、俺の耳元に唇を近づける。



「今日は俺、会いたい人がいるんだ」





熱い吐息が、耳に掛かる。

甘ったるい声が、くすぐったいように入り込む。






俺は無意識のうちに俯いてしまっていて、
いつの間にか、ドンへはまた歩き始めていた。




ドンへ。


俺も、会いたい人がいるんだ。


連れて行って、欲しい、けど…




「……ドンへ…」




一人は怖いよ、ドンへ。




「俺のこと、置いていかないでね…」





あまりにも自然に口から零れた言葉は、
自分でも引いてしまうほど、重たかった。

それでもドンへは、足を止めて、俺を振り向いて、
掴んだままの手を引いて、自分の胸の中に俺をすっぽりと収めた。



心臓が煩くなったなんて、きっと気のせいだ。





「俺は、一人にしないよ」




頭の少し上の方で、ドンへの声がする。

耳元で囁かれた時より、こっちの方がずっとむず痒い。


なんだか、ドンへが遠くに行ってしまったみたいで。








せんせい。



会いたいよ、せんせい。



ねえ、せんせい。どこにいるの…―――?







もう、俺の姿は見えないの――――?






「ちゃんと、手、繋いでてね」




腕の中の俺に、ドンへはあやすようにそう言った。
ドンへの腕が、離れていく。俺とドンへが、離れていく。


俺は当たり前のように、離れていくドンへの背中に腕を回した。



「……行きたいところが、あるんだ、ドンへ」






会いたい、せんせい。



ずっとずっと、会えなかったから。







「…霊園、連れて行って……」







ドンへの腕の中。
俺はせんせいを想って涙を流した。


しっかりとしがみついたドンへの体は、俺とは違って随分と逞しい。



せんせいは、どうだったっけ。







会いたい。せんせい。



会って、全てを思い出して、刻み付けたい。








お願い、ドンへ。




せんせいのところに、連れて逝って。











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