神様。
もしも、僕を身代わりに、願いを叶えてくれるなら。
―――――彼を、幸せにして…。
*******
夕立ちが激しく道路を叩く。
アスファルトは黒く塗り替えられていって、俺が傘をさして立っているところだけ
灰色のままだった。
ビニール傘から覗く世界は、酷く濁っている。
ぼやぼやと霞んでいて、淀んでいて、何も素敵なことなんてない。
俺はそんなことを考えながら、ただひたすら雨音の中に立ち尽くしていた。
「……傘、貸してあげる」
不意に声を掛けられ、ヒョクチェは慌てて顔を左に向ける。
見るとそこには、雨の中、自分に向かってビニール傘を差し出している男がいた。
「や、俺傘あるし…」
「いいから。とりあえず貰って下さい」
ずいっと胸元に傘を押し付けられて、制服のブレザーがじんわりと濡れていく。
不快に思って男を睨みつけると、今まで顔を伏せていた男が俺を見つめた。
「もう、傘いらないんで…」
いらないなんて言われても、心底困る。
見るからに男はびしょぬれで、しかも薄い制服のシャツはすっかり肌に張り付いている。
ポタポタと水滴が落ちる明るめの髪は、風呂に入ったあとみたいだ。
それに第一、俺はコイツを知らない。
分かるのは、こいつも学生ということと、少なからず頭がおかしいということ。
だってこんな雨の中、傘がいらないなんて…
「俺、そこにある尚文の一年のイ・ドンへって言います。いらなかったら、後で返しに来てください」
「え?尚文なの?」
ヒョクチェは目を見開いて驚く。
尚文高等は、ヒョクチェの通っている高校だ。そして、ヒョクチェも一年。
まあ、知らなくて当然なんだけど。
「はい、尚文、ですけど…」
ドンへは、顎を通る雨雫を腕で拭いながら、不思議そうに首を曲げる。
びしょぬれのドンへに気づいて、一瞬傘を返そうとしたが、俺は思わず腕を引っ込めた。
じゃあ、ドンへは俺のこと知ってるんだろうか…。
そう考えると、当たり前のように体中を走る恐怖感。
寒さのせいじゃない鳥肌が顔の輪郭に走り回って、
ドクドクと心臓が煩く鳴りはじめる。
震えながらなんとかドンへと視線を合わせると、ドンへはまだ不思議そうな顔をしている。
俺はいてもたっても居られなくなって、ドンへに押し付けられた傘の取っ手を強く握りしめた。
「えっと…ただ、聞いてみただけだから。気にしないで」
どうしよう。上手く笑えない。
ギュッと握りしめた傘の取っ手を、汗なのか雨なのか分からない雫が伝っていく。
ドンへはさらに不思議に思ったのか、まじまじと俺を見つめる。
尚文の生徒なら、きっと誰もが知っている俺の顔。
ドンへが、穴が開くほど見つめてくるから、俺の頬は自然と引き攣ってくる。
どうしよう、ばれる。ダメだ、ダメ。見たら絶対に…
「あ、俺、この傘やっぱり貰っていくから!」
変な冷や汗が髪の生え際から額に届いた瞬間、俺は傘を掲げてそう叫んでいた。
一瞬驚いたような顔をしたドンへも、すぐに眉間の皺を直して、ふわりと笑う。
「ありがと、ございます」
ぺこりと律儀に下げられたドンへの頭をぼんやりと眺めていると、
ゆるゆると体を起こしたドンへとばっちり目があった。
いや、目が合うなんて、人生で何度もあったことだけど。
ぼーっと眺めていて、ハッとなったら目が合っているとなると、反射的に顔を逸らしてしまう。
「本当に、助かります」
耳だけで、聞こえた言葉。
どうして、こんなに悲しい声が出るんだろう。
まるで、あの時の俺みたいだ。そう思ったとき、俺がゆっくりとドンへを見つめると、
謝ることしかできないみたいな、切ない顔で、ドンへが言った。
「俺は今日、雨に溶けたかったから。」
雨に、溶けたい…――――。
俺が我に返ったころにはもう、ドンへが軽く一礼をして
雨の中を去っていくところだった。
俺はドンへの傘を握りしめて、激しい雨の粒でどんどん見えなくなっていく
ドンへの頼りない背中を見つめる。
ドンへの背中がもう雨の水飛沫にきえたころ、俺はドンへの傘を開く。
パンッという軽快な音と共に俺の前に広がったのは、またあの、ビニール傘から覗く世界。
その世界は、なんだかさっきよりも、霞んでいて、淀んでいた。
もしも、僕を身代わりに、願いを叶えてくれるなら。
―――――彼を、幸せにして…。
*******
夕立ちが激しく道路を叩く。
アスファルトは黒く塗り替えられていって、俺が傘をさして立っているところだけ
灰色のままだった。
ビニール傘から覗く世界は、酷く濁っている。
ぼやぼやと霞んでいて、淀んでいて、何も素敵なことなんてない。
俺はそんなことを考えながら、ただひたすら雨音の中に立ち尽くしていた。
「……傘、貸してあげる」
不意に声を掛けられ、ヒョクチェは慌てて顔を左に向ける。
見るとそこには、雨の中、自分に向かってビニール傘を差し出している男がいた。
「や、俺傘あるし…」
「いいから。とりあえず貰って下さい」
ずいっと胸元に傘を押し付けられて、制服のブレザーがじんわりと濡れていく。
不快に思って男を睨みつけると、今まで顔を伏せていた男が俺を見つめた。
「もう、傘いらないんで…」
いらないなんて言われても、心底困る。
見るからに男はびしょぬれで、しかも薄い制服のシャツはすっかり肌に張り付いている。
ポタポタと水滴が落ちる明るめの髪は、風呂に入ったあとみたいだ。
それに第一、俺はコイツを知らない。
分かるのは、こいつも学生ということと、少なからず頭がおかしいということ。
だってこんな雨の中、傘がいらないなんて…
「俺、そこにある尚文の一年のイ・ドンへって言います。いらなかったら、後で返しに来てください」
「え?尚文なの?」
ヒョクチェは目を見開いて驚く。
尚文高等は、ヒョクチェの通っている高校だ。そして、ヒョクチェも一年。
まあ、知らなくて当然なんだけど。
「はい、尚文、ですけど…」
ドンへは、顎を通る雨雫を腕で拭いながら、不思議そうに首を曲げる。
びしょぬれのドンへに気づいて、一瞬傘を返そうとしたが、俺は思わず腕を引っ込めた。
じゃあ、ドンへは俺のこと知ってるんだろうか…。
そう考えると、当たり前のように体中を走る恐怖感。
寒さのせいじゃない鳥肌が顔の輪郭に走り回って、
ドクドクと心臓が煩く鳴りはじめる。
震えながらなんとかドンへと視線を合わせると、ドンへはまだ不思議そうな顔をしている。
俺はいてもたっても居られなくなって、ドンへに押し付けられた傘の取っ手を強く握りしめた。
「えっと…ただ、聞いてみただけだから。気にしないで」
どうしよう。上手く笑えない。
ギュッと握りしめた傘の取っ手を、汗なのか雨なのか分からない雫が伝っていく。
ドンへはさらに不思議に思ったのか、まじまじと俺を見つめる。
尚文の生徒なら、きっと誰もが知っている俺の顔。
ドンへが、穴が開くほど見つめてくるから、俺の頬は自然と引き攣ってくる。
どうしよう、ばれる。ダメだ、ダメ。見たら絶対に…
「あ、俺、この傘やっぱり貰っていくから!」
変な冷や汗が髪の生え際から額に届いた瞬間、俺は傘を掲げてそう叫んでいた。
一瞬驚いたような顔をしたドンへも、すぐに眉間の皺を直して、ふわりと笑う。
「ありがと、ございます」
ぺこりと律儀に下げられたドンへの頭をぼんやりと眺めていると、
ゆるゆると体を起こしたドンへとばっちり目があった。
いや、目が合うなんて、人生で何度もあったことだけど。
ぼーっと眺めていて、ハッとなったら目が合っているとなると、反射的に顔を逸らしてしまう。
「本当に、助かります」
耳だけで、聞こえた言葉。
どうして、こんなに悲しい声が出るんだろう。
まるで、あの時の俺みたいだ。そう思ったとき、俺がゆっくりとドンへを見つめると、
謝ることしかできないみたいな、切ない顔で、ドンへが言った。
「俺は今日、雨に溶けたかったから。」
雨に、溶けたい…――――。
俺が我に返ったころにはもう、ドンへが軽く一礼をして
雨の中を去っていくところだった。
俺はドンへの傘を握りしめて、激しい雨の粒でどんどん見えなくなっていく
ドンへの頼りない背中を見つめる。
ドンへの背中がもう雨の水飛沫にきえたころ、俺はドンへの傘を開く。
パンッという軽快な音と共に俺の前に広がったのは、またあの、ビニール傘から覗く世界。
その世界は、なんだかさっきよりも、霞んでいて、淀んでいた。
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