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―お前は今日、知らない男に体を触らせていればいいんだ。



仮面の男は、綺麗すぎる顔でそう言った。

男の名は、キム・ヒチョル。


この手の企業のトップに立つ男だと、ドンへが教えてくれた。


―酷く、悲しそうな顔のドンへに。





売られたんだ、俺は、ドンへに。


おんなじ気持ちだと思っていたドンへに、

助けてくれたドンへに、

助けたかった、ドンへに。




悲しくは、ない。




「とりあえず、今日はお試しってことで」



ヒチョルに連れられて入った部屋は、いかにもそれ相当な部屋だった。

鏡がびっしりと貼りつけられた天井に映り込むベットは、
妖しげに紫色を輝かせている。
部屋全体がシックでパープルテイストで、
カーテンはいやらしく透けている。



別に、どうだっていい。

俺なんて、どうなったっていい。



「客が入るまで、ここで待ってろよ」



ヒチョルは最後まで美しすぎる笑みを残して、部屋を出て行った。

俺はなす術もなく、黒のレースがかったベットに体を投げ捨てる。


今日俺は、ここで知らない男に抱かれるのだろうか。



―――せんせい…。



俺はまた、戻ってしまうの?

せんせいの性欲処理の道具だったころに、戻ってしまうの?


別に良かった。
性欲処理でいい。体貸しでいい。

俺はそれでも、せんせいのこと…――――



「…ヒョクチェ、お客だよ」



目尻に涙がじんわりと溜まりだしたころ、ドアの方で声がした。
急いで駆け寄ると、ピシッとした皺ひとつないスーツに身を包んだ長身の男と、
その後ろで俯くドンへがいた。


「君がヒョクチェくん?」

「あ、はい…」

「よろしくね、今日は。」



男の長い手がすっとヒョクチェの首筋に触れる。

驚いて男を見ると、やけに整った笑顔を浮かべていた。


ああ、俺は、この男に抱かれるのか―――。



「じゃあ、ありがとう」



男は自分の後ろに佇むドンへに一言呟く。
ドンへは薄笑いを浮かべて、男に一礼をした。



顔をあげたドンへは、泣きそうな顔で、俺を見つめた。


ドンへ、ドンへ。

俺は全然、悲しくなんてないんだ。

ドンへに売られたって、大丈夫だよ。


ただ、ただ少し、切ないだけ。



「…お楽しみ、ください…」



消え入りそうな声でそう言ったドンへは、
もう顔をあげないで、速足で部屋の前から消えて行った。




男の手が、腰に回る。
嫌悪感なんて、もうどうだって良かった。




せんせい。


俺は今日、せんせい以外の人と、体を重ねる。



さよなら、せんせい…




 *******




一時限目は、数学。

二時限目は、英語。

三時限目は、古文。




なんて退屈な時間割なんだろう。

しかも、俺の嫌いな教科ばっかりだ。



入学して一週間。

たった一週間で、ここまで授業が過酷になるとは思ってもいなかった。





ヒョクチェはまたいつもの如く、屋上で転寝をしている。
これで二度目になるサボりだが、まだ一週間。
取り戻すチャンスは沢山ある。


朝からサボるのは、これが初めてだった。
それでも、朝からいなければ怪しまれる可能性だって減少するだろう。



「つまんないなぁ…」



青い空は、つまらないほど高く続いている。

風は生温くて、空気はカラリと乾いている。


俺は澄みすぎている空にぶつけるように、そう言い放った。



「……何がつまんないんですか?」

「…へ…?」



刹那、ふっと影が落とされる。
驚いて上を見上げると、やけに整った顔立ちが近くにあって焦った。



「おさぼりヒョクチェくん。いけませんねぇ」

「せ、せんせい…」



クスリ、と、せんせいが笑った。

やけに綺麗な笑顔だったけど、澄みすぎている空とは違って、
妙に愛おしい。



「サボってたこと、担任には内緒にしてくれますか…?」



半ばせんせいの笑顔に見とれながらそういうと、
せんせいはわざとらしく「うーん」と首を捻る。

そして、相変わらずの整っている笑顔を浮かべた。



「ヒョクチェくんが、アイス奢ってくれたら考えてあげます」



俺はその言葉に、思わずプッと噴出した。








二人は笑いあう。



高すぎる青空の下で、せんせいは、優しく笑っていた。





せんせい。


好きです、せんせい。

















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