『藍に似ている。』
彼はそう言った。
涙で滲む視界の中、それだけしか覚えていなくて。
それだけしか、覚えていたくなかった。
寂しがり屋な藍#1―夜八時の奇跡事―
夜八時を過ぎたら、昼間はにぎわう商店街のどの店も人気を失ってくる。
俺は毎日、そのタイミングで公園から抜け出す。真っ暗な商店街は少し恐いけど、
目立たないためにはこれが最善の方法だから。
一昨日はコロッケ屋。昨日は八百屋。さて今日はどの店で食料を奪おうかと
辺りをきょろきょろと見回していると、暗く伸びる中心路の奥の方から馬鹿でかい
笑い声が聞こえてくる。
掠れていて酷く嘲笑う様な声。一瞬にして体が固まるのが分かった。
脳裏を過るのは、俺の服を裂いて笑うあいつら。
やばい、やばい。俺は生まれつきの金髪のせいか、なぜだかやたらとヤンキーとか
不良とかに絡まれる。
できることならすぐにでも黒髪にしてしまいたいけれど、生憎家すらない俺には
金だってない。
「ど、しよ…」
近づいてくる笑い声に、ポツリと声が漏れた。
足が震える。喉が窄まる。つーっと首筋を流れる汗に鳥肌が立つ。
父さんが借金取りに追われて自殺をした後、俺は追いかけてくる借金取りから
死ぬ気で逃げ回った。
でも車なんて出されれば一瞬でつかまって、なんでそうなったのかは知らないが
服を脱がされた。
必死で抵抗するも虚しく、そういう行為をしようとしているんだと分かったころには
時すでに遅し。散々痛めつけられた後ろに何かが宛がわれていた。
別に不良は皆そう言うことをするわけじゃない。
でも、絡まれるといつもあの時の描写がクリアに浮かんできて、
流したくもない涙が次から次へと溢れてくる。
俺の人生、一言で言うなら〝悲劇〟だった。
二歳のころに母親を亡くした。でも、母親は不倫していて家に帰ってこなかったから、
顔なんて見たことなかったけど。
小学三年生の時に父親が借金を作った。そして、中学二年の時に父親が自殺した。
ああホントにいいことないじゃん、そんなことをぼんやりと考えていると、
真っ暗な中心路に4、5人程の集団が立っていて、伺うように此方を見つめていた。
だぼだぼに着崩した制服。あ、やばいと思えばすぐに、集団の真ん中にいる
背の低い男が口を開いた。
「…お前…金髪?」
「え、あ、や、その、」
「おい、ここらへんに金髪なんていたか?」
「俺は見たことないっすけど…」
「お前、どっからきた」
「え、と…」
ぎろりと切れ長の目で一睨みされれば、条件反射のように口籠ってしまう。
ここでただの一般人ですと言っても信じてもらえるケースはまずない。
一般人はこんなに見事な金髪ではない。その時点で俺は〝一般人〟ではないのだ。
「おい、何しらばっくれてるんだよ」
「あ、あの、俺…」
「そこまで上等な金髪なら、どっか喧嘩の強い学校なんだろうなあ」
「お、俺、不良じゃ…」
「ぁあ!?聞こえねぇんだよ!!!」
「ちょっと!!アンタたちやめなさいよ!!!!」
怒号が耳を掠めたその瞬間、やけに甲高い声が商店街に響いた。
驚いて振り向くと、仁王立ちをしたシルエット。視線をあげれば、綺麗に巻かれた
金髪の髪を長く垂らした細身の女の人が立っていた。
女の人の後ろで唖然としている男の人は、俺が視線をやった瞬間、
思い立ったかのようにあたふたしだした。
「ちょ、ちょっとジェシカ!何言ってんの、相手誰だと思ってんの!」
「何よドンへ、可愛い男の子が襲われてんのよ!?助けるしかないじゃない!」
「結局そこ!?俺知らないから!一人でやってよ!」
「はぁ!?女にケンカさせる気!?アンタがやるに決まってるじゃない!!」
「えぇ!無理無理、あ、ほら!あの子だって困ってる!!」
びし!と男の人に人差し指を刺されて、俺は思わず背筋を伸ばす。
ゆっくりと二人の視線が俺の視線とぶつかって、その間には奇妙な静寂さえ流れた。
女の人は俺を見定めるかのようにじっと見て、男の人は縋るような瞳で俺を見つめてくる。
「何よ、全然困ってないじゃない。むしろ喜んでるわ。そしてやっぱり可愛い。」
「何言ってんの!もうジェシカが襲おうとしてない!?」
「してないわよ。助けてあげるの!ほら、さっさとヤンキー追っ払って!」
唖然としている俺の前で繰り広げられるテンポのいい会話劇。
俺はただ見つめることしかできなくて、暗がりに浮かぶフォルムを只管見つめた。
「ほら、早く行ってってばって……あ!あいつら逃げた!」
「違うでしょ!どう見たって呆れて帰ってったの!」
「何よもう!かっこいいとこかわいこちゃんに見せたかったのに…」
「全部そこに行きつくじゃん!!」
女の人が声をあげて指さした方へ視線を送ると、視界に入ったのは
かったるそうに暗く伸びる中心路を去っていく集団の後姿。
俺はただ体中の力が抜けていくのをどうする術もなく感じるだけで、
気が付けばへなへなと地面に座り込んでいた。
嘘みたいな出来事。誰かに助けてもらうなんていつ振りだろう。
こんな俺を見てもなんとも思わないのだろうか。恐いとか、汚い、とか。
グルグル思考が廻るのに、押し上げてくる感情は何故か一つで。
じわじわと目尻が熱くなって、鼻の奥がツンとする。確認するまでもなく、
涙が頬を伝っていた。
「はぁ…ほら、あの子ジェシカの迫力にビビっちゃったじゃん…」
「な、違うわよ!安心して力が抜けちゃったの!」
「まったく…ね、君、だいじょう…」
ひょいっと俺の顔を覗き込んだ男の人の動きが止まる。
それにつられて俺の顔を見た女の人もさっきの勢いを失くして固まった。
静かに流れる涙は、綺麗に美しく頬に筋を作っていく。
俺なんかには似合わない涙。俺なんかが流してはいけない涙。
暫くすると、頬に何か温かい感触が伝わる。
驚いてびくつくと、すぐ目の前にやけに整った男の人の顔があった。
「ごめんね、びっくりしちゃった?」
きゅ、と指の腹で頬を撫でられれば、余計に視界がぼやけてくる。
涙を拭われるなんて。そんな事夢にも思わなかった。
「だいじょうぶ?どっか痛い?ちょっと、ジェシカいつまで固まってんの」
「………やっばい、近くで見るとちょー可愛い…」
「ちょっと!その口調恐いよ!本気になるサインじゃん!!」
まったく、ね、ごめんね、なんてふんわりと微笑みかけた男の人は、
さらりと長い指を俺の髪に絡めた。
そして次の瞬間、指とは比べ物にならないくらい柔らかい感触が頬から全身に走る。
大きく見開いた目の前には、男の人の頬と顎先。
キスをされた、そう理解するのにはあまり時間が掛からなくて、
ぺろりと下で目のすぐ下を舐められれば、自然にもゾクゾクする。
「もう大丈夫。家まで送っていこうか?」
頬に残る唇の感触が消えないのに、ポカンとしている俺をよそに、男の人は
また微笑んだ。
こういうことには慣れているんだろうか。俺は男なのに。
それでも思考は完全フリーズ状態で、俺は訳も分からず、家もないのに
ただ只管頷いていた。
―夜八時の奇跡事―
(あなたの瞳に惹かれることは、この時から決まっていたのでしょう?)
彼はそう言った。
涙で滲む視界の中、それだけしか覚えていなくて。
それだけしか、覚えていたくなかった。
寂しがり屋な藍#1―夜八時の奇跡事―
夜八時を過ぎたら、昼間はにぎわう商店街のどの店も人気を失ってくる。
俺は毎日、そのタイミングで公園から抜け出す。真っ暗な商店街は少し恐いけど、
目立たないためにはこれが最善の方法だから。
一昨日はコロッケ屋。昨日は八百屋。さて今日はどの店で食料を奪おうかと
辺りをきょろきょろと見回していると、暗く伸びる中心路の奥の方から馬鹿でかい
笑い声が聞こえてくる。
掠れていて酷く嘲笑う様な声。一瞬にして体が固まるのが分かった。
脳裏を過るのは、俺の服を裂いて笑うあいつら。
やばい、やばい。俺は生まれつきの金髪のせいか、なぜだかやたらとヤンキーとか
不良とかに絡まれる。
できることならすぐにでも黒髪にしてしまいたいけれど、生憎家すらない俺には
金だってない。
「ど、しよ…」
近づいてくる笑い声に、ポツリと声が漏れた。
足が震える。喉が窄まる。つーっと首筋を流れる汗に鳥肌が立つ。
父さんが借金取りに追われて自殺をした後、俺は追いかけてくる借金取りから
死ぬ気で逃げ回った。
でも車なんて出されれば一瞬でつかまって、なんでそうなったのかは知らないが
服を脱がされた。
必死で抵抗するも虚しく、そういう行為をしようとしているんだと分かったころには
時すでに遅し。散々痛めつけられた後ろに何かが宛がわれていた。
別に不良は皆そう言うことをするわけじゃない。
でも、絡まれるといつもあの時の描写がクリアに浮かんできて、
流したくもない涙が次から次へと溢れてくる。
俺の人生、一言で言うなら〝悲劇〟だった。
二歳のころに母親を亡くした。でも、母親は不倫していて家に帰ってこなかったから、
顔なんて見たことなかったけど。
小学三年生の時に父親が借金を作った。そして、中学二年の時に父親が自殺した。
ああホントにいいことないじゃん、そんなことをぼんやりと考えていると、
真っ暗な中心路に4、5人程の集団が立っていて、伺うように此方を見つめていた。
だぼだぼに着崩した制服。あ、やばいと思えばすぐに、集団の真ん中にいる
背の低い男が口を開いた。
「…お前…金髪?」
「え、あ、や、その、」
「おい、ここらへんに金髪なんていたか?」
「俺は見たことないっすけど…」
「お前、どっからきた」
「え、と…」
ぎろりと切れ長の目で一睨みされれば、条件反射のように口籠ってしまう。
ここでただの一般人ですと言っても信じてもらえるケースはまずない。
一般人はこんなに見事な金髪ではない。その時点で俺は〝一般人〟ではないのだ。
「おい、何しらばっくれてるんだよ」
「あ、あの、俺…」
「そこまで上等な金髪なら、どっか喧嘩の強い学校なんだろうなあ」
「お、俺、不良じゃ…」
「ぁあ!?聞こえねぇんだよ!!!」
「ちょっと!!アンタたちやめなさいよ!!!!」
怒号が耳を掠めたその瞬間、やけに甲高い声が商店街に響いた。
驚いて振り向くと、仁王立ちをしたシルエット。視線をあげれば、綺麗に巻かれた
金髪の髪を長く垂らした細身の女の人が立っていた。
女の人の後ろで唖然としている男の人は、俺が視線をやった瞬間、
思い立ったかのようにあたふたしだした。
「ちょ、ちょっとジェシカ!何言ってんの、相手誰だと思ってんの!」
「何よドンへ、可愛い男の子が襲われてんのよ!?助けるしかないじゃない!」
「結局そこ!?俺知らないから!一人でやってよ!」
「はぁ!?女にケンカさせる気!?アンタがやるに決まってるじゃない!!」
「えぇ!無理無理、あ、ほら!あの子だって困ってる!!」
びし!と男の人に人差し指を刺されて、俺は思わず背筋を伸ばす。
ゆっくりと二人の視線が俺の視線とぶつかって、その間には奇妙な静寂さえ流れた。
女の人は俺を見定めるかのようにじっと見て、男の人は縋るような瞳で俺を見つめてくる。
「何よ、全然困ってないじゃない。むしろ喜んでるわ。そしてやっぱり可愛い。」
「何言ってんの!もうジェシカが襲おうとしてない!?」
「してないわよ。助けてあげるの!ほら、さっさとヤンキー追っ払って!」
唖然としている俺の前で繰り広げられるテンポのいい会話劇。
俺はただ見つめることしかできなくて、暗がりに浮かぶフォルムを只管見つめた。
「ほら、早く行ってってばって……あ!あいつら逃げた!」
「違うでしょ!どう見たって呆れて帰ってったの!」
「何よもう!かっこいいとこかわいこちゃんに見せたかったのに…」
「全部そこに行きつくじゃん!!」
女の人が声をあげて指さした方へ視線を送ると、視界に入ったのは
かったるそうに暗く伸びる中心路を去っていく集団の後姿。
俺はただ体中の力が抜けていくのをどうする術もなく感じるだけで、
気が付けばへなへなと地面に座り込んでいた。
嘘みたいな出来事。誰かに助けてもらうなんていつ振りだろう。
こんな俺を見てもなんとも思わないのだろうか。恐いとか、汚い、とか。
グルグル思考が廻るのに、押し上げてくる感情は何故か一つで。
じわじわと目尻が熱くなって、鼻の奥がツンとする。確認するまでもなく、
涙が頬を伝っていた。
「はぁ…ほら、あの子ジェシカの迫力にビビっちゃったじゃん…」
「な、違うわよ!安心して力が抜けちゃったの!」
「まったく…ね、君、だいじょう…」
ひょいっと俺の顔を覗き込んだ男の人の動きが止まる。
それにつられて俺の顔を見た女の人もさっきの勢いを失くして固まった。
静かに流れる涙は、綺麗に美しく頬に筋を作っていく。
俺なんかには似合わない涙。俺なんかが流してはいけない涙。
暫くすると、頬に何か温かい感触が伝わる。
驚いてびくつくと、すぐ目の前にやけに整った男の人の顔があった。
「ごめんね、びっくりしちゃった?」
きゅ、と指の腹で頬を撫でられれば、余計に視界がぼやけてくる。
涙を拭われるなんて。そんな事夢にも思わなかった。
「だいじょうぶ?どっか痛い?ちょっと、ジェシカいつまで固まってんの」
「………やっばい、近くで見るとちょー可愛い…」
「ちょっと!その口調恐いよ!本気になるサインじゃん!!」
まったく、ね、ごめんね、なんてふんわりと微笑みかけた男の人は、
さらりと長い指を俺の髪に絡めた。
そして次の瞬間、指とは比べ物にならないくらい柔らかい感触が頬から全身に走る。
大きく見開いた目の前には、男の人の頬と顎先。
キスをされた、そう理解するのにはあまり時間が掛からなくて、
ぺろりと下で目のすぐ下を舐められれば、自然にもゾクゾクする。
「もう大丈夫。家まで送っていこうか?」
頬に残る唇の感触が消えないのに、ポカンとしている俺をよそに、男の人は
また微笑んだ。
こういうことには慣れているんだろうか。俺は男なのに。
それでも思考は完全フリーズ状態で、俺は訳も分からず、家もないのに
ただ只管頷いていた。
―夜八時の奇跡事―
(あなたの瞳に惹かれることは、この時から決まっていたのでしょう?)
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